外国籍社員雇用を本気で「やってみる」ことが大切

CareerFly 羽二生(以下羽二生):今回は株式会社コンタツ代表の津久浦様に、外国籍社員と共にキャリアフライをするをテーマにお話をお伺いします。よろしくお願いいたします!

コンタツ津久浦氏(以下津久浦氏):よろしくお願いします。

羽二生:コンタツ社はとても歴史がある企業ですよね。大正13年創業です。津久浦様は、現在3代目でいらっしゃると思いますが、そこに至るまでにはどのようなご経験をされたのですか?

津久浦氏:私はもともとバックパッカーとして、国内外いろいろな場所に一人で行けるような人間でした。就職先を探すとき、実家のコンタツを将来的にも継ぐ・継がないを置いておいても、関連する業界&海外と関われる仕事がいいなと思い、当時からグローバル展開もしていた味の素に入社しました。

最初は北海道にて4年ほど営業をしていたのですが、成績を出しすぎて(笑)、海外事業の担当になりました。

羽二生:すごいですね!念願の海外事業の座を勝ち得たのですね。

津久浦氏:そうなんです。ただ、結構大変でした。というのも、当時からグローバル展開をしていた味の素も、実は海外は海外、日本は日本で事業が分かれていて、部署間や社員同士の交流がほとんどなかったのです。そこを、オペレーションを一気通貫にしようとした初めての部隊でした。部隊といっても、私と上司の二人でした(笑)。
社内では席が1つ変わっただけですが、いきなりコミュニケーションが英語になりました。

羽二生:企業の誰もが経験していない新しいことをほぼ一人で進められたのですね。

津久浦氏:はい。100人ぐらいいるフロアで2人だけ違うことをしていました。
大変なこともありましたが、よかったことといえば、皆私たちが何をしていたかわからなかったので、助けてくれないですけど、同時に口も出されなかった。
自ら事業を進めていく力を身につけることができました。

創業90年の家業を立て直す
海外事業から一転、新たなチャレンジ

羽二生:味の素社にて、ご自身の分野を確立され、とても充実されていたように思います。どのタイミングで貴社に入られたのですか?

津久浦氏:経営が危ないと思ったからです。その当時、企業を大きくしようというより、1日でも長くこの企業があればいいなという状況でした。このままではいけないと、私が経営に入ることになりました。

羽二生:また新たなチャレンジですね。当時を振り返ると、どのような点に一番課題を感じていらっしゃいましたか?

津久浦氏:企業風土です。16年前当社に来た時感じたことは、”誰も頑張らない”ということです。
5時10分が弊社の退社時間なんですが、5時半には誰もいないという。
今ではホワイト企業とか、効率化みたいなことで良しとされると思いますし、当時でも賛否両論あると思うのですが、会社の状況を考えると、ちょっとポジティブには捉えにくい状況でした。
オールドタイマーな企業で、平均年齢は50歳を超え、ITや新しいものを取り入れていくという考え方もありませんでした。
そうなると、外からの信用もなくなります。仕入先メーカーさんからの期待値も下がるし、お付き合いしていただいている金融機関からの目も厳しくなる・・・。

まず中から変えていく必要性を感じました。

羽二生:社内の状況が、お客様やステークホルダーにも影響し、結局売り上げや経営に響くのですね。

津久浦氏:そうです。なので、私が先頭に立って、変革を起こそうと思いました。社員には、私が来たから大丈夫だと思って、またチャレンジして欲しかったのです。

コンタツにしかできない「東京ローカル」

津久浦氏:そんな中で推進したものの一つが「東京ローカル」です。

当時、日本には多くの酒の問屋さんがあり、弊社よりも歴史が長い企業や売り上げが大きい企業もたくさんありました。ただ、バブルがはじけた後20年足らずで、全国展開するチェーンストアや大手企業にM&Aされることで、国内の酒問屋の数が約半分になりました。
地元だけで売るよりも、全国で売る方が強いという風潮がありました。

私もコンタツに入る前に、どこの企業グループに所属するのかと聞かれました。
でも私はどこにも所属しませんでした。
なぜかというと、東京圏(東京神奈川埼玉千葉)だけで、日本の人口の4割のマーケットなのです。そもそも全国展開が必要なのか、そう思いました。

羽二生:冷静に状況を見たときに、世間の流れとは逆をいく方が、貴社のマーケットとして確保できるということですね。

津久浦氏:はい。全国ではなく「東京」にこだわる。「東京ローカル」という言葉を作り、東京のお酒を作って売ろうということになりました。

羽二生:これまでの酒蔵さんとのお付き合いができていた貴社だからこそできたことでしょうか?

津久浦氏:それが実は、当時90年近く東京でお酒を売っていて、東京の酒蔵さんと一軒もお付き合いがなかったのです。

羽二生:あれだけ全国のお酒を取り扱われているのにですか?!

津久浦氏:そうなんです。普通、新潟の酒問屋は新潟の酒を扱うんですよ。地酒がありますから。
東京にもあるのに、それをやっていなかった。
なので、私たちの目指すマーケット、あり方、東京の酒を東京の酒屋が売る。それを広めていく。より楽しんでもらえるようにする。
そういった「東京ローカル」という夢を、カラー刷りのかっこいいチラシを作って、お付き合いしていなかった酒蔵さんに回って、一軒一軒伝えていきました。

そうしたら、わかってくれる酒蔵さんが増えていきました。
ローカル同士がコミュニティーを作り、歴史を作る。そういった動きに賛同してくれる酒蔵さんが増えていきました。

羽二生:全国展開をしていく問屋が増える中で、逆に地元の酒蔵と手を組み、地元のブランドを立ち上げていく。東京でのお酒の歴史を変えた取り組みですね。
「東京ローカル」といえば、私はビールのイメージがありました。ビール造りはどのように始められたのですか?

津久浦氏:マーケティング的にいうと、全体のアルコール消費量の約半分は、ビールです。でも日本酒はそのうち6%くらいしかないんですね。ビールを作ればより多くの人がコミュニケーションが取れる。フレンチやイタリアンでも出してもらえるお酒がビールです。なので、ビールを作れば、特に東京のローカルクラフトビールがあれば、もっとうまくいくと思いました。

東京のビールは、東京を語れる人・企業が作るしかない。それなら弊社がプロデュースして、東京の酒蔵さんに作ってもらうしか、シナリオがなかったのです。(笑)

羽二生:確かに。御社しかできない完璧なストーリーですね!

津久浦氏:そう思ったのです。ただ、実現までは3年ぐらいかかりました。すでに皆様独自のブランドを持っていたし、クラフトビールブームがまだ来る前だったので。
でもそんな中で一社一緒にやろうと言ってくれるところがみつかり、私も社長もブルースが好きだったことから「TOKYO BLUES」というビールを作ることになりました。

そこからはトントン拍子で進みました。

羽二生:それまでもオリジナル商品は手がけていらっしゃったのですか?

津久浦氏:いえ、私が入社してからです。今やオリジナルのワインやビール、焼酎や日本酒もあります。そうすると営業の幅も広がります。

かつて平均年齢50歳以上でした弊社も、今や若い世代が営業の中心です。
「東京ローカル」という目的やビジョンのもと、オリジナル製品があるというのは楽しいようで、社員の離職も減りました。

羽二生:自社のストーリーが語れる商品があるのは、いいですね。

津久浦氏:すごく大事なことです。実は100年ぐらい続く日本橋の老舗の寿司屋さんとか、鰻屋さんが、弊社の商品を置いてくれているんですよ。簡単に新参者を入れない彼らが入れてくれた理由が、これは「江戸の粋だから」「江戸前ビールだから」だと。
これが、東京ローカルの力であり意味であると思います。

世界的マイノリティの日本酒を世界に広める

羽二生:国内、特に東京という地盤を固められた後は、東京から海外へと展開されていくと思いますが、それはどのように行われたのですか?

津久浦氏:海外へ日本酒を展開するには、いくつかハードルがありましたが、一番は価格です。
酒蔵さんが輸出をする際、言葉の問題などがあり、海外のインポーターと組んで輸出をすることが多いです。そうなると、消費者の手に届くまでにいくつかの業者を挟むことになるので、気づいたら価格が日本の3〜4倍で売られることになります。

日本食ブームのおかげで、日本酒の輸出額はここ10年で5倍以上になりましたが、これは日本食とセットで売れているにすぎません。
日本酒をワインなど他のアルコールのように楽しんでもらえているかというと、そうではない。
その理由の一つが、価格だと思うのです。

その対策として、弊社では「海外に子会社を作り直接売る」というやり方と「ECで直接売る」という2つの方法を取っています。

羽二生:ECサイトを拝見すると、アジア向け、特に中華圏へのプロモーションが強いように感じます。

津久浦氏:そうです。最初は世界に向けて!ということで進めていたのですが、マーケティングがぶれてあまりうまくいきませんでした。また、すでにある市場から考える適正価格もわからなくなってしまった時期がありました。そこで、もうこれからはアジアの時代なのでアジアに売る。そしてそのビジネスの中心には華僑があるからそこを狙おうと踏み切りました。また、価格も日本の表示価格にしました。

香港人材採用によってひらけた華僑マーケット

羽二生:そんな時にご入社されたのが、香港出身で、海外マーケティングを担当されているオスカーさんですね。どのように採用を決定されたのですか?

津久浦氏:当時の海外担当者が、ご家庭の事情で退職されるタイミングや、この事業をもっと強化したいというタイミングが重なり、採用活動をしていました。その時に、日本人も国籍問わず面接をしていたのですが、CareerFlyの大野社長の紹介で、オスカーに出会いました。蓋を開けたらオスカーが一番良かったので、採用をしました。

羽二生:決め手はどのような点でしたか?

津久浦氏:オスカーは、酒が好きだったんです。フランスでワインの知識を得ていたこともありました。私たちのように、お酒を扱う企業の人は、まずお酒を好きである必要があります。言語やマーケティングの知識や経験も大切でしたが、私はその素直な「好き」という感覚が良くて、採用に至りました。

羽二生:実際に入社して貴社に良い影響はありましたか?

津久浦氏:はい。彼が入ってくれて本当に良かったと思っています。

日本酒は、世界中でお酒業界の中でもマイノリティーです。ちゃんとした知識を持っている人は少ないし、知らなくても困らないです。
そんな中で、海外で日本酒が並んでいても、飲んだことのない人や知らない人がわざわざ買わないですよね。
越境ECでは、オンラインの部分だけでなく、実はオフラインというか、アナログな部分でのマーケティングが相当重要になります。
例えば、香港のグルメ雑誌に広告を出したり、リアルな食の展示会に言って試飲会をしたりします。EC上でも蔵元の写真を撮ったり、日本酒に関する知識を載せたりしています。
オスカーは言語やカルチャーの部分で、華僑やそのマーケットと問題なくコミュニケーションが取れます。現地の展示会には足を運んで現場で彼が活動をしています。

今弊社で酒蔵さんと近いところで仕事をしながら、経験値をつみ、それを技術に変えられる一番近いところにいる社員です。今はまだ越境ECの中で2段階目ぐらい。今後も彼には期待しています。

ECはゼロから始めて、多い時で月に1千万円ぐらい売り上げる様になりました。

また、オスカーを採用したことで、社内も少し変わりました。
「あ、海外事業、本気なんだ」ということが伝わりましたね。(笑)
また、若い社員からすると、ずーっと同じ事業をしているのではなく、前に進んでいて、
色々な仕事が社内にあるということが示せます。

羽二生:とても活躍されていらっしゃいますね。社内外に対して、良い影響があることは、外国籍社員を採用するメリットになりますね!
逆に、オスカーさんが入社されて大変だったことはありますか?

津久浦氏:あまりないです。彼は日本語がパーフェクトなので、コミュニケーションも問題ありません。また、嘘をつかないタイプの人なので、とても信用しています。
今後のマネジメントとしては、今の動きや仕組みを作り、事業を拡大して組織づくりをしていく中で任せられることも増えると思います。

外国籍の方だからということではなく、その才能や強みを活かせる場を提供できるかどうかという視点で見ています。

「東京ローカルユニークカンパニー」としての成長

羽二生:今後も楽しみですね。貴社全体としては、今後のCareerFlyをどの様にお考えですか?

津久浦氏:いつも私が言っているのは、「東京ローカルユニークカンパニーです。」
「ユニーク」というのは、他者を見て何かをするのではなく、自分たちで新しいビジネスモデルを作っていくという意味です。そういう会社になるために、これまでも仕事をしてきました。まだまだやれることはたくさんあります。その道を極めていきたいです。

やはり「東京ローカル」なので、支店などを作るのではなく、あくまで東京発信でやっていきたいと思います。「東京ローカル」を始めてから、社員が事業に誇りを持ってくれる様になりました。ローカル事業最高だと。今後も、こんな感じで、東京ローカルを極めていきたいと思います。

外国籍社員雇用を本気で「やってみる」ことが大切

羽二生:最後に、現在外国籍社員雇用に興味があるものの、一歩踏み出せていない、企業の経営者の皆様に、メッセージをいただけますか?

津久浦氏:もし外国籍社員の雇用を考えているのであれば、考えた時点でまずやってみるべきです。今はボーダーレスな時代ですし。まずやってみた結果を持って、どうするかを考えるべきです。
雇用した後もVISAの問題を含めて、そんなに難しいことはないはずです。

昔と違い、日本がアジア内でトップで、他の国がみんな貧しいなんて時代ではありません。優秀な人材は、国内よりも国外にもっといっぱいいると思います。

一番大切なのは、雇用する側が、本気じゃないとダメですね。
ちょっとやってみるでも、そのやってみるに本気がないと、うまくいかないと思います。
なので、まずは本気で採用をしてみる。ということをお勧めします。

羽二生:今日はありがとうございました!
今後も「東京ローカル」を創り、発信し続けるコンタツ社から、目が離せません。

コンタツ株式会社
代表取締役社長 津久浦慶明氏にインタビュー
コンタツ株式会社3代目社長。大学卒業後味の素社へ入社。国内営業後海外事業を担当。2005年にコンタツ社へ入社。2011年より代表取締役社長。「TOKYO BLUES」などの東京ならではのアルコール商品や越境ECサイトを手がけ、
東京から世界に、日本酒を親しみやすい形で発信し続けている。