世界中の言語による障害を取り除くことを使命に

初めての大きな挫折の先に出会った日本という第二の祖国

CareerFly株式会社 羽二生知美(以下羽二生):本日は、株式会社Oyraa(オイラ)代表のコチュ・オヤさんにインタビュー致します。Oyraa(株式会社Oyraaのサービス)は、プロフェッショナルな通訳者と簡単につながり、日常やビジネスで困ったことを解決できるとても面白いサービスです。
オヤさんのご経歴やお考え、株式会社Oyraaについてもたくさんお話しを伺います。よろしくお願いします。

株式会社Oyraa代表コチュ・オヤ氏(以下オヤ氏):こちらこそ、よろしくお願いします。

羽二生:まず初めに、来日した経緯をお伺いできますか?

オヤ氏:最初に来日したのは、2006年に日本企業のインターンシップを受けにきたことがきっかけでした。それまで実は日本が好き!というわけではなかったのですが、一度来日して恋に落ちてしまいました。

私の出身であるトルコでは、日本と同じように熾烈な大学受験戦争があります。当時私は、いわゆる優秀な学生で、両親も先生も私自身もトルコ最難関大学に余裕で入学できるものと信じていました。とても勉強を頑張ったというより、勉強が本当に楽しくて、遊ぶ代わりに勉強をしていたような学生でしたので、そのお陰で勉強が得意だったと思います。
ところが、いざテストを受けると、解いても解いても答えが見つからずという事態に陥りました。全く回答できない経験は初めてだったことから、その問題に時間を取られてしまい、結果第一志望の大学に合格できませんでした。

最難関大学に不合格し、その他の大学は全く眼中になく、どこに行くのも同じだと考えていました。最終的には、興味のある電気通信工学や半導体について学べる大学を選びましたが、自分としては納得がいかず、どうにか他の生徒と差別化できる経験を積みたいと考えるようになりました。

そんな時、海外インターンシップという機会を見つけました。ヨーロッパやアメリカなど選択肢はいくつかありました。その中で一番身近ではなく、未知で、面白いと感じた日本を選びました。日本が当時半導体領域で強い国であったことも理由の一つです。

羽二生:大学受験では、希望の学校には行けなかったものの、それがあったからこそ日本との出会いがあったのですね。

日本の虜となった思いやり溢れる人々との出会い

オヤ氏:当時は辛い時期を過ごしましたが、今はその経験にとても感謝しています。2ヶ月間の日本でのインターンシップは、私の人生を変えるものでした。

羽二生:日本の何が、オヤさんを夢中にさせたのでしょうか。

オヤ氏: 日本で出会った方々です。私がお世話になったのは、オムロンという企業です。インターンシップは東京などの大都市ではなく、滋賀県の小さな田舎町でした。当時はスーパーが一つ、神社が1箇所、工場がいくつか、それ以外には何もないところでした。

そこでお世話になった方々が、親切で思いやりがある方々で本当に素敵な方々でした。こんな天使のような人たちが本当にいるのだ!と、驚きました。
日本語がわからないトルコからの短期インターンシップ生に対して、休日含め1日たりとも一人にせずサポートしてくれました。いつも誰かが必ず私の横にいて、観光や食事へ連れ出してくれました。お陰で寂しいと思ったことは一度もありませんでした。
むしろ2ヶ月間のインターンシップを終えた時、とても寂しかったです。その際、来年もよかったら来てねと言葉をかけていただき、翌年も来日しました。

羽二生:オムロン社員の皆さんが、オヤさんを日本の虜にしたのですね。

オヤ氏:そこからは日本に行きたい一心で、東京大学の修士課程へ入学しました。国内最難関大学にいくという夢も、ここで果たすことができました。(笑)
今思えば、学歴は一つのブランドのようなもので、そこまで重要ではないように感じますが、当時は清々しい思いでした。

羽二生:素晴らしいです!東京大学では何を学ばれたのですか?

オヤ氏:半導体とバイオナノエレクトロニクスを学びました。アルツハイマー病の検出センサーを作る(当時)最先端研究のプロジェクトに参画しました。当時師事した先生にも恵まれました。実は、いろいろなテーマがある中で一つに絞りきれていなかった私に対して、時間をかけても良いので、いろいろなプロジェクトを見て、自分のやりたいことを探しなさいと先生が教えてくれました。そのお陰で、様々な知見を得て、視野を広げることができました。

もう一つラッキーだったことは、専門以外を勉強する機会があったことです。研究室は日中忙しく、実験を行う研究者が多かったため、私は利用する生徒が少ない夜の間に研究を進めました。昔からショートスリーパーだったことから、昼間は学校で授業を受けていました。授業は自由に聴講もできたので、他の学部の授業にも興味を持ち、済学部などの授業も受けるようになりました。そこから、経済やビジネスに関心を持つようになったのです。
あまりにも他の学部の授業が面白すぎて、専攻の授業を忘れがちになり、教授から注意を受けたこともありました。(笑)

羽二生:もともと勉強がお好きだったオヤさんにとって、様々な勉強ができる環境はとても適していたのですね。
卒業後は日本で就職されましたが、なぜ日本で就職しようと思ったのですか?

オヤ氏:日本が大好きだったからです。特に、帰化をしようと決めたきっかけの一つは、大学在学中に起きた東日本大震災でした。
それまで、日本が大好きと言っていた外国籍の方々が、震災が起きた途端に国へ帰るのを見て、疑問を感じました。東京はすぐにライフラインは復旧し、元どおりの生活ができました。たとえ被災地にいたとしても、東京や他の影響の少ない地域へ移動することもできたのに、どうして帰国する必要があったのでしょう。すごく疑問で、憤りさえ感じました。その時なぜこのような感情を抱いたのだろうと、不思議に思いました。日本に対する愛着を再認識した出来事となりました。良い時だけでなく、大変な時も日本にいたい、大変な時も力になりたい。そのため将来的帰化すると決め、帰化の条件である日本での就業経験5年をまずは得ようと思いました。ただ、日本での就職活動は、私の強い日本愛をも打ち砕きそうなほど大変でした。(笑)

羽二生:どのような点が大変でしたか?

オヤ氏:一番の課題は、選考プロセスでした。私はボストンコンサルティング社に入社をしましたが、当時の選考は7ステップ程あり、SPIもありました。ステップの長さはもちろんですが、ハンディキャップを感じたのは日本語です。
特にSPIは大変でした。会話はできても日本語ネイティブと同じスピードでの読解はできません。日本語ネイティブも時間が足りないと嘆くSPIを解き、日本語ネイティブと同じ基準で評価されました。就活フェアなどに行くと、どこの企業もグローバル人材が欲しいというのに、日本語は必須要件でした。しかも日本語ネイティブと同じレベルです。ある外資系企業の日本語要件の一つに、手書きのメモが取れる必要があること、を見たとき大変驚いたことを覚えています。

羽二生:日本語は高い壁になりますね。

オヤ氏:なんとかボストンコンサルティングから内定を頂いて入社をすることができました。当時ビジネスに高い興味があり、ビジネスコンサルタントとして様々な企業のプロジェクトに参画し、課題解決に取り組めたことは本当に良い経験となりました。

実体験をもとに構築したビジネス

羽二生:約3年間、ボストンコンサルティング社にてお仕事をされたのですね。そこから株式会社Oyraa 設立までどのような背景がありましたか?

オヤ氏:就職して2年ほどたち、ハイレベルなビジネス日本語も扱えるようになっていました。その頃から、外国籍の友人から、日々通訳を頼まれことが増えました。「子供が熱を出したから病院に行きたいけど、医者と話せないから通訳をして欲しい」のような日常的な言語の壁です。
このような課題や依頼を聞くにつれ、困った時に呼べる通訳サービスがあったらいいなと思うようになり、株式会社Oyraaを立ち上げました。

羽二生:実体験をもとに、ビジネスアイディアを得たのですね。

オヤ氏:最初は、共同創業者がスイス人だったことから、スイスで起業しました。ところが、共同創業者との意見の違いから、日本で再度起業しました。貯金を全てスイスでの起業に使い果たし、ゼロから立ち上げをしました。とても苦労しました。

羽二生:どうして日本で起業し直したのですか?

オヤ氏:もともと帰化を目指していたほど日本が好きだったので、むしろスイスに留まる理由はありませんでした。
当時、起業自体はそんなに大変ではありませんでした。資金も一円あれば登記できるタイミングでした。ただ、ビザはそうは行きません。経営者ビザを取得するには、500万円の資金が必要でした。

羽二生:サービスの立ち上げには苦労された点はありますか

オヤ氏:Oyraaのサービスは、アプリケーション上で通訳者と通訳を必要とするユーザーをマッチングするため、通訳者の登録とユーザーの獲得、両方が必要となります。どちらもターゲットを明確にしていたので、サービスの立ち上げにそこまで苦労はありませんでした。

調べてみると通訳者の8~9割はフリーランサーでした(日本だけではなく、グローバルでも同様)。彼らとしてはOyraaに登録することで、空き時間に依頼がきて、通訳をすればお金がもらえるメリットがあります。そのため登録者数獲得はスムーズにいきました。

ユーザーは、日本に短期滞在しているビジネスマンや帯同家族にフォーカスをしました。仕事で来日しており、いつ帰国するかもわからない彼らは日本語を積極的に勉強していないことが多いです。また、日常的に日本語が必要な場面で少しお金を払うことについて抵抗はありません。
そのため、彼らにフォーカスしたマーケティングを行い、ユーザーを獲得しました。

代表として大変だったことはたくさんあります。

前職は経営戦略コンサルファームで、当時のクライアントも大手企業でした。そのため、大手企業の仕事の仕方については分かっていたつもりでした。ですが、自分で起業し、1人で0から立ち上げることについては、全く経験がありませんでした。自信満々で起業しましたが、大手企業とスタートアップは別物であることを、身を持って実感しました。ただ、その一つ一つから学んで次へ活かすことを意識しつつ、持ち前の早い決断力を活かして改善を繰り返しました。

失敗から学んだ例の一つは、プロダクト開発です。私はソフトウエアエンジニアではないので、アプリケーションの開発はできません。そのため、ソフトウエア開発会社に依頼して開発を行っています。初めは何もわからないので、思い描くアプリケーションをできるだけ早く、良い品質で作ってくれる外注先を探しました。その時ご縁をいただいた海外のソフトウエア開発企業と契約をしました。
初めてのアプリケーション開発は、コミュニケーションや意思疎通、希望している物のイメージ等をやり取りするだけでとても苦労しました。また、外注先との契約内容も工夫しました。

一般的に、外注先はプロジェクトベースでエンジニアをアサインしており、プロジェクト期間が終わると、担当エンジニアは違うプロジェクトへアサインされます。ですが、プロダクトは終わりません。プロダクトのアップデート、また修正も継続して必要です。ですが、システムを理解しているエンジニアは、異なるプロジェクトで忙しい。再びシステム要件を伝えるなどのコミュニケーションや、ナレッジマネジメントを1からしなければなりません。
私は、この仕組みではうまくいかないと考え、プロジェクトにアサインするエンジニアを専属で配属して欲しいと交渉しました。その結果、開発初期から、同じ人がずっと開発に携わってくれており、快適に開発を進めています。

また、今は開発チームの他に、マーケティングやカスタマーサポートがいますが、追加してセールスチームを作ることにチャレンジしたこともありました。オンラインはマーケティングチームに任せて、オフラインの営業を試しました。数ヶ月ぐらい試し、全く利益が出ておらず、即解散しました。結局デジタルサービスの営業は、デジタルで行った方が効率が良いと判断しました。

言葉のバリアをなくし言葉に困らない社会を築く

羽二生:トライアンドエラーを高速で繰り返し、様々なことを学ばれてきたのですね。組織についてお伺いします。貴社は、どのようなチーム構成なのでしょうか?

オヤ氏:チーム構成は前述した通り、カスタマーサポートとマーケティングが主力チームで、開発チームは海外に構えています。チームは多国籍社員で成り立ち、日本国籍社員も在籍しています。
多国籍チームであることはマネジメントにおいて、全く問題となりません。むしろ、文化や考え方がマッチしているかが最も重要だと考えます。
カルチャーについては細かく明文化し、社員とも共有しています。採用時の指針にもしています。
オーナーシップを持って物事を進める力、前向きかつ協力的であること、チャレンジを好む明るい精神という要素が土台にあり、顧客に対する考え方や仕事への向き合い方など、いくつかの要素が積み重なったようなカルチャーです。
このカルチャーに共感できる、理解できる人は、大歓迎です。経験や知識がなくともすぐにキャッチアップできる素養があれば、問題なく採用しています。

羽二生:企業文化を明らかにし、そこにフィットする方を採用することで、チームとしてまとまりが出るのですね。
すでに社員も増え、サービスも順調に伸びていらっしゃいますが、今後どのような組織でビジネスを展開されるのでしょう。

オヤ氏:私が実現したいことは、言葉のバリアをまずは個人向けに解決し、日本在住の外国籍の方々が言葉に困らず生活ができる土台を作ることです。ゆくゆくは、日本だけでなく世界中にいる「外国籍の方」がその土地で言語に困らず生活ができるようにしたいです。
手軽に、世界中の言語による障害を取り除くことがしたいと思っています。

組織として目指す姿は特に描いていません。組織は生き物です。その時のビジネスの状況に合わせて、柔軟に変化していくものだと考えています。

羽二生:ありがとうございます。世界がより身近で、気軽に楽しめるものになりますね。
最後になりますが、日本に行きたい、日本でキャリアアップしたいと考える方々は多くいらっしゃいます。オヤさんはご自身でキャリアを切り開き、目指す世界を実現しようとしています。これから日本で活躍を夢見る方々へ、何かメッセージやアドバイスをいただけますか?

オヤ氏:日本は文化が大きく違う国であり、多くの外国人にとってチャレンジングなことがたくさんあるかと思いますが、働く環境からすると他の国と違って割と平和な部分があります。それにより、やりたいことがしやすいと感じることがあります。
例えば、他の国だと同じチーム内でも他人の足を引っ張る、他の人の前に立つために手段を選ばないというシーンをよく見かけます。日本では、あまり見かけない光景ではないでしょうか。そう考えると、やりたいことにちゃんと向き合える、穏便な国だと思います。
一方で、まだまだ男性社会です。先日驚いたのは、ある自治体の女性活躍推進支援団体の団員写真を見たら、全員中高年の男性でした。女性活躍推進の団体です
そういったことに、まだ疑問を持たない社会ではあります。そのような点など、外国籍の方の視点を持って変えられることがあると言えます。

ぜひ一緒に日本の社会に入り、やりたいことにチャレンジしながらも、日本社会で疑問に思うことがあれば、一緒に良い事例を作りながら、社会を柔らかく変えていきましょう。

羽二生:オヤさん、本日は貴重なお話をありがとうございました。オヤさんのご経験や言葉に、勇気付けられる方も多いと思います。今後も言語の壁がない社会実現に向け、オヤさんのご活躍が楽しみです。

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株式会社Oyraa(オイラ) 代表取締役社長 コチュ・オヤ
トルコ出身。2013年、東京大学大学院 工学系研究科を卒業。ボストンコンサルティンググループに入社。2017年株式会社Oyraa創業し、日本在住の外国籍向けに、手軽に通訳サービスを利用できるアプリケーションを開発・提供する。